日の本にて…  ハロー、シカゴ



日の本へ…その246「アメリカ・非移民ビザ取得までの道」

 やっとビザが来た。長かった…。

 日の本へ…  その246「アメリカ・非移民ビザ取得までの道」

 今回の話はさっぱり分からんと言う方も多いと思いますが、ビザ取得ってそんなに簡単じゃないんだよということが少しでもご理解いただければ幸いです。

 07年6月現在、アメリカのビザ取得は手続きが非常に煩雑で、会社がバックアップしてくれても分かり難いことが多いのが事実。お役所的に書類が揃ったら「はい、入国してください」ではなく、自分の国(今回の場合はアメリカ)に入ってくる人間が入国するにふさわしいかどうかを定めているわけで、手続きが面倒だったり、担当の職員が横柄だったり、冷たかったりするのも仕方がないことらしい。特に、テロ事件以後は、申請のために大使館・領事館での面接が必須となっている。面接までの道のりが長く、また、面接で結構な数の人が申請却下となっている。一度、却下されると同じ種類のビザ申請が非常に困難になるので、できるだけ1回でパスしたいものであるが…。

 私36歳、勤務11年。妻一人、子一人。いろいろある非移民(永住を目的としない)ビザのうち、就労ビザの1種であるLビザを申請することになった。例えば、観光・短期はB、学生はF・M、同じ就労でも短期はH、企業内転勤はL、貿易や投資目的ならE、スポーツ・芸能関係はO・P、報道関係はⅠビザとなる。ビザによって有効期間や内容が異なる。Eビザは米国での投資が可能、H・Lでは不可である。アメリカで起業するぞという人はEビザを狙わないといろいろ制約が厳しくなるが、当然その申請基準の壁は厚く、高い。申請に数年!かかる人もざらではないそうである。
 2007年3月31日、北米の顧問弁護士からメールによる指示が出た。私と家族の情報はメールで、その他揃えられる資料を可能な限り早く揃えて送るように、とのこと。無論、全て英語。
 1.私・家族のフルネーム、出生地(戸籍に記載されている正確な出生地)、誕生日、住所
 2.私・家族のパスポートのIDナンバー、満了期限
 3.現部署に異動になった日
 4.私の履歴書。さらに現部署、及び入社してから今までの履歴と仕事内容。
 5.私・家族のパスポート(過去のものも)のコピー、ブランクも含む全ページ。
 6.私・家族のアメリカビザ(過去に取得していれば)のコピー
 7.大学の卒業証明書
 8.私・家族の出生証明書
 9.結婚証明書
 7の卒業証明書は、卒業した大学に問い合わせて取り寄せることができる。郵送なども可能なはずだが、私の場合は関西の大学だったので、直接、大学に取りに行った。弁護士の指示では、日本語でいいとのことだったが、英文を大学で発行してくれるなら、そちらの方が手間を省けるようだ。また、ついでに自分の専攻の英語の正確名を調べておくべき。私は文学部卒だが、Literature Department ではなく、School of Humanitiesだった。
 8と9は、日本の場合は「戸籍謄本」一枚で全て間に合う。
 弁護士から第2の指示
 1.2006年度の源泉徴収書…人事が作成。
 2.職歴証明書…自分で作成、人事部長のサインをもらう。
 弁護士から第3の指示
 1.会社の登記簿謄本
 2.会社の2006年度の監査報告書
 3.会社の組織図
 この件に関しては、こちらで準備しなくても北米で準備できる資料だったようだが、向こうでの連絡不足だったらしい。特に監査報告書については、4月現在で06年の決算は未だであり、日本の企業は3月締め、「年度」という捕らえ方の説明にかなり苦労した。05年度のもので可となる。こちらも人事に発行依頼。
 上記の資料・情報を北米の本社宛に送り終わったのが4月24日である。これらを北米で全て英訳し、移民局に提出、移民局がこれを受け取り、認可が下りないと次のステップに進めない。いろいろなサイトを調べる中で「認可が下りるまで1~3ヶ月ほどかかる」と聞いて焦ったが、「15日以内に認可する」との返事が移民局から弁護士宛にあり、実際に認可が出たのが5月21日。認可状を含む書類がまず北米の会社に送られ、それらを加工した上で、やっと私の元に届いた。それが6月4日。実に2ヶ月以上かかったことになる。

 ここから次のステップ。
 07年6月現在、アメリカのビザ申請には必ず領事館・大使館での面談が必要である(16歳以上)。Webサイト上にて面談を予約するのだが、私の場合、ここまでは北米の弁護士がやってくれた。ここでは都合上、私がやらなくてもよかったことも説明しておく。
 ◆書類DS-156~面談日の予約について
http://japan.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-niv-walkin1.html
 上記、アメリカ大使館のHPよりアクセスし、DS-156をネット上で作成することでバーコード番号が確定します。この番号を元に申請料金100ドルを先払いしなければならない。DS-156は細かいことも書かねばならないが、渡航日などわかる範囲で大丈夫なようである。DS-156を入力するとバーコード番号が確定し、この番号を入力することで、面設日の予約画面に入れるようになる。話で聞いていたほど、予約がいっぱいではないので、ずっと先まで予約が取れないという自体にはならないはずである。面接日を予約すると、さらに「お客様番号」が確定し、この番号をもって面談日までに申請料をATMを通じて支払っておく。ここで注意したいのは、年齢に関係なくDS-156の作成・申請料は必要だが、面談自体は15歳以下は免除されるということ。
 ◆書類DS-157は自分で作成。
 面談の必要がある16歳以上の申請者のみ必要。これはサイトからプリントアウトする。中学以上の学歴が必要で、欄が小さいのと転校が多かったこともあり、私は学歴のみ別紙で作成した。
 ◆自分で用意した資料の確認。
 パスポート、写真をDS-156に貼り付け、ATMご利用明細書、DS-157、ゆうパック(ex-pack500)に自宅の宛先を書いたもの、など。ゆうパックは北米からの指示では一人1つだったが、実際は家族で1つでOKだった(後述)。
 ◆面談 当日
 朝8:30のアポで、8:15に領事館前に着いたところ、既に長蛇の列。面談は受付順なので、早めに終わらせたいなら、もう少し早めに行くべき。その場でそのまま並ばされ、1階玄関で3~5人ずつ中に呼び込まれていく。警備員の方が手馴れているようで大きな混雑はなかったが、雨の日は大変であろう。子連れの方もいたがこれも厳しい。私の子どもは妹に預かってもらっていたので少し楽だった。玄関を入ったところでは空港並の持ち物検査があり、携帯などの精密機器、飲食物はここに預ける。
 大阪領事館では、検査の後3階に上がる。3階には5つの窓口があり、E・Lビザと他のビザに分かれて並んでいた、というかばらけていた。というのも、E・Lビザ以外の申請者が圧倒的に多いので、私の行く先は少し空いたのだが、かなり横柄な職員が誘導していてルールがよく分からず、非常に非効率的に感じた。前後の人と自分の順番を確認しておくことをお勧めする。
 自分の順番が来たら、窓口(切符売り場?というより刑務所の面会室ようなガラス越し)で書類一式を提出。ここの職員は日本人である。ここで書類に不備があると追い返されるようで、この日も数人見かけた。私の場合、弁護士が家族の分にも分厚い会社関係の書類を用意してくれていたが、「1つでよい」と全てその場で返却された。また、3人分用意していたゆうパックも1人分で大丈夫とのこと。ルールがよく変更されることもあるし、書類が足りないよりも、多い方がずっとマシであろう。重かったけど。
 書類チェックが終わると、そのまま2階へ。ここが面談本番だ。同じようにガラス越しのブースがいくつか並んでいたが、この階の職員はアメリカ人である。フォーク形式で並ばされ空いたブースへ呼ばれる。ちょっと緊張したが、なんのことはなく日本語で「どんな仕事をしますか?」と聞かれた。日本語で返答したところ、全く理解していないようだった。「英語で説明した方がいいのか?」と悩んでいると、書類をパラパラと眺めた彼女は一言、「OK!」。拍子抜けだ。左右人差し指の指紋を登録して難なく終了。
 英語で受け答えしている申請者もいたのはいた。語学力に自信があるなら、それでいいだろうが、私のように不安な場合、下手に英語で答えていろいろ突っ込まれるよりも日本語で通した方がいいと個人的には思う。書類に書いてあることと違うことを言うのが一番怖い。書いてあることを自分の言葉で、且つ英語で言える自信がないとお勧めしない。こうして書くとLビザは非常に簡単に取れるみたいだが、決してなめていけないのだ。ビザは、ある目的を達成するために許可をもらうものであり、その目的を達成したらアメリカから出て行きますと宣言するものである。仕事が目的なのに、中途半端に「語学勉強とかもやるんだ」とか言うと面倒くさいことになりかねない。もしビザが降りなければ、自分だけでなく全ての人の労力や時間を無駄にしてしまう。変なプライドよりも確実さを取るべきでしょう!
 ここまで済めば、一週間以内に念願のビザが手元に届くはずである。私は木曜に面談して土曜日にはもう手にしていた。これがあるかないかで自由度が段違いなのだから、手続きは邪魔臭くても疎かにはできない。ブラジルなんて一日の滞在でもビザがいるんだとさ。

 私がビザを手にするまでに2ヶ月半。恐らく非常にスムーズに行ったケースであろう。会社のおかげある。今から申請する方に少しでも参考になれば幸いである。ならないか?

2007年6月11日
柴 英斗
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# by shibaei | 2007-06-11 11:13 | 海外

日の本へ…   その245「ニュータイプ」

 オールドタイプがニュータイプを生み出す土壌になっているのではなくて!?

  日の本へ…   その245「ニュータイプ」

 何十回観たかわからない「劇場版 機動戦士ガンダム!)-めぐりあい宇宙」。先日、久しぶりに観て、鑑賞史上初めて泣いた。こんな気持ちになったことはなかった。年取ったのかなぁ。
 アムロとララァはお互いの全てを分かり合う。時間も空間も超越して。分かり合った刹那、アムロの刃でララァは命を落とす。直接触れ合うことなく、互いの過去も未来も分かり合うという人類史上、誰も経験したことのなかった無常の喜びを与えてくれた相手が突如いなくなる、しかも、それは自らの手で殺めてしまったからというアムロの哀しみとは如何ほどのものであろう。あまりにも業が深い。深すぎる。恐るべし、富野監督。
 ララァはこう言い残す。「あぁ、アムロ。時(とき)が見える…」。
 BGM「そして時が すこやかに あたためる愛~」
                    ビギニングby井上大輔

 人同士が理解し合うってのが難しい。特に今の自分にとっての壁は、はたして言葉だ。
 とかく日本人は英語に対して、センシティブというかナイーブというか、考えすぎの面がある。私だけ?とにかくコンプレックスを持っている。これが戦後のGHQの狙い通りなら、「あっぱれ、マッカーサーさん」ってなところだ。
 日本に上陸したアメリカ軍は、アメリカ市民に比べ日本人のあまりの識字率の高さに驚き、この国の国民に英語を話されると米国を脅かす存在になるかもしれないと懸念し、公教育において、故意に話せない英語教育を確立したとする説がある。確かに、日本の公教育だけで英語を話せるようになったという人に会ったことはなく、英語を操る人は皆、大なり小なりの努力を学校教育以外のところでしている。なぜ、「this is a pen.」から始まったのか。完全に英語に対する苦手意識を植えつけられている。この苦手意識は明らかに第二次世界大戦後に確立されたものであり、明治維新の頃の日本人はその語彙数は今に比べ遥に稚拙にも関わらず、英語で堂々と交渉している。江戸から明治へと時代を見つめた勝海舟、日米通行通商条約を撤廃した陸奥宗光、留学した伊藤博文、彼らだけでなく多くの日本人が諸外国に対して何の物怖じもしていない。

 本屋に行っても英語関連の書籍の如何に多いことか。そういうのに散々左右されるのが私のような小市民である。例えば、『「My name is …」という表現は「拙者、○○と申す」みたいな感じで文語である。普通は「!)’m …」だ』という風に解説している本がある。如何に日本の英語教育がおかしいかを端的に表すためだと思うが、私の知る限り、初対面で外国人は「My name is …」と普通に名乗る。英会話スクールでも指摘されたことはない。寧ろ、初対面にも関わらず、相手を呼び捨てで呼び、「!)’m …」と名乗る方が、「気をつけてね」と言われたくらいだ。
 結構、大切なことだと思うのだが、目にする外国人がスタンダードではないということだ。尚更、本やwebの情報が全てではないということだ。その書き手がどのような外国人とどのくらいの期間、どのような密度で接していたのかは分からない。
 日本人は外国人=アメリカ人と思ってしまう傾向があるが、例え、英語を話すとしてもその背景は様々である。たまたま知り合った外人が「can’t」を「カント」と発音する(英国人に多い)から同じように皆、話すかといえば違うのである。カントは一歩間違うと非常に卑猥な言葉である(外国の大人のビデオで時々聴けます)。また、同じアメリカでも地域によって文化はまるで違う。一昔前、多くの企業がアメリカ進出を賭け、西海岸に工場を設置し、「よし認められたぞ、次は中部だ、東海岸だ」と特攻して玉砕されたのも、ロスなどはアメリカ人から見ても全くの異文化だからである。アメリカ人が皆、陽気で気さくと思ったら大間違い。プレイガールやボンドガールばかりと思ったら大間違い。国民総メタボリック症候群の可能性だって否定できない。
 斯く言う私もまだまだ日本において英語を勉強しているだけで、周りに外国人が多い状況にはなったものの、異文化にどっぷり浸かっているわけではない。全てはこれからである。英語ができないという理由だけで、なめられたくはないんだよね、世界に。こう感じること自体、すでにコンプレックスか。

 ガンダムの世界で語られる「ニュータイプ」とは、人の進化系である。宇宙に設置されたスペースコロニーで生活し始めた人類が、地球上では体感し得ない無重力状態、何ら拠り所のない不安な空間で五感以外の新たな感覚を身につけるようになる、と定義されている。それは言葉などを使わなくても互いを分かり合える能力。ニュータイプを戦いの道具としてしか見なさないオールドタイプは一掃すべし、というのがシャアであり、人はもっと分かり合えるはずだとするのがアムロである。
 人は本当に分かり合えるのか?

 ララァ、私を導いてくれ。

 2007年6月5日
 柴 英斗
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# by shibaei | 2007-06-08 10:57 | マンガ・アニメ

日の本へ「機動戦士ガンダム」

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 ガンダムのことを思いつくままに。記憶が頼り。信憑性薄し。長いよ~。
 
 日の本へ… 「30代のガンダム論」

 私の自慢はファーストガンダムを再放送ではなく、初回放送時から見ていたということである。私の郷里、香川県では当時、土曜日の17:30からが日本サンライズ枠だった。『無敵超人ザンボット3』に始まるシリーズは以後、『無敵鋼人ダイターン3』『機動戦士ガンダム』『無敵ロボ・トライダーG7』『最強ロボ・ダイオージャ』『戦闘メカ・ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ZZガンダム』『機甲戦記ドラグナー』と続いていく。これとは別枠(少なくとも香川では)だが、この期間にサンライズは『伝説巨神イデオン』『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』といった小ヒット作も生み出している。ちなみに、これらの作品のOP・ED、全て唄えたりする。

 ダイターン3終了間際、1979年当時、小1の私は『テレビマガジン』や『テレビくん』という雑誌の存在を初めて知る。集団登校時の待ち合わせ場所に、4年生のお兄ちゃんがその雑誌を持ってきており、「おまえ、こん中でどれが一番、かっこええと思う?」と聞いてきた。見たこともない雑誌に、見たこともないロボット!その見開きのページには白いロボットと赤いロボット、戦車みたいなロボットが描かれていた。私は赤いロボット・ガンキャノンを指差した記憶がある。白いロボット・ガンダムは線が華奢すぎてミクロマンみたいに思えた。戦車みたいのはガンタンク。これが私とガンダムの最初の出会い。

 一般的に『機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』は初回放送時の視聴率が悪かったと言われているが、当時既に大学生にはかなり評価が高かったらしい。要はチビッ子の受けがよくなかったのだ。それはつまり関連商品が売れないということである。アニメの場合、協賛するお菓子、玩具メーカーの商品が売れるかどうかが最も大切なポイントである。極端な話、視聴率が0%でも、おもちゃが売れれば、作品としては生き残れるはずである。

 ガンダムの前後の番組に注目してみる。ザンボット3、ダイターン3とここで既にサンライズは子供向けにしては思い切った方向を打ち出す。ザンボット3では主役である神(じん)ファミリーはほとんど戦死。ちなみに、主人公の神勝平を演じたのは大山のぶ代さん、大山さんはお気に入りの作品にこのザンボット3を挙げているらしい。ダイターン3はテンポや設定がかなりお洒落。主人公の名前は波嵐万丈(はらんばんじょう)、声はブライト役の鈴木洋孝氏(06年、急逝)で、ダイターン3が主役としてのデビュー作でもある。

 両作品とも合体・変形メカであり、玩具もそれをうまく表現できていたこともあり、売れ行きは結構好調で、それなりの成功を収めてきた。それを受け、ガンダムは満を持しての登場だったのである。

 そんなガンダム、ロボットではなく兵器としてのモビルスーツなど、それまでの作品にないものを設定に入れてきた。が、大人にも納得できる作品を作りたいという現場と、売り上げ第一のメーカーとの間に軋轢があったのは容易に想像できる。(近年、『仮面ライダー響鬼』で異例の番組途中でのプロデューサー交替もこれが原因だと思われる。)制作費がメーカーから出る以上、メーカーからの要望は優先しなければならない。まずガンダムはコアファイターとのドッキングが可能。テレビではやたらと空中でドッキングする。さらに番組後期にはGファイターが登場し、空中・宇宙空間での変形・合体を繰り返す。当時の協賛玩具メーカーはクローバーで、Gファイター登場後、少しは関連商品の売上が上がったらしいが、如何せん、かなりプロポーションは悪く、子供騙しのイメージは強かった。ガンダムはメーカーの突き上げに屈っしたのか、全52話放送予定を43回で打ち切りとなる。富野由悠季監督、そのうっぷんを晴らすように劇場版では設定を変更し、空中ドッキングなし、Gファイター登場せず、ガンタンクも『めぐりあい宇宙編』では姿を消している。

 ちなみに、監督の富野由悠季氏、キャラクターデザインの安彦良和氏、メカニックデザインの大河原邦男氏は私たちの年代にとっては神様だ。富野監督は別名「皆殺しの富野」とも呼ばれ、手がけた作品の登場人物たちを惜しげもなく殺すことで有名。前述の「ザンボット3」しかり、「ガンダム」シリーズしかり。劇場版『逆襲のシャア』ではついにアムロもシャアも…。「イデオン」においては登場人物全員死亡。

 ガンダムの後番組のトライダーG7、この作品の主人公は竹尾ワッタ、小学6年生で竹尾ゼネラル・カンパニーの社長である。見事にタイムスリップしたかのような、如何にも子供受けしそうな設定だった。ガンダムの関連グッズの売れ行きの悪さに、メーカーが痺れを切らせたのが目に浮かぶようだ。一作品を約一年と考えると、トライダー、ダイオージャと約2年間、子供にわかりやすい「ロボットまんが」が続く。この2年の間に、ガンダムの逆襲が進行する。ガンプラブーム、劇場版『機動戦士ガンダム』の公開。そしてサンライズはザブングルから路線を再度、中高生・大学生向けに変更し、ここから暫く、サンライズ黄金期が続いていく。

 恐らく、それまでのロボットアニメ史上最も不細工であったろう主人公ジロン・アモス、ウォーカーマシンという作業・建設機器の延長のようなメカ群、どんな犯罪を犯しても3日逃げ切れば無罪といった設定など、冒険的要素を取り入れた『戦闘メカ・ザブングル』。個人的にこのサブングルにはかなりの高得点をつけている。市場の反応も良かったのか、ザブングルは後に『太陽の牙ダグラム』とともに劇場公開されている。『ザブングル・グラフティ』。(ほかに『銀河漂流バイファム』『巨神ゴーグ』は僕の中で高得点。)

 キン肉マン、アバレンジャーの主題歌でお馴染みの串田アキラ氏をメジャーにしたのは、このオープニング『疾風!ザブングル』であろう。同時期の宇宙刑事シリーズ「あばよ涙!よろしく勇気!」とともに(富士サファリパーク説あり。「ほんとに、ほんとに、ライオンだ~」)。ちなみに挿入歌『HEY YOU!』を唄ったMIOさんは富野監督のお気に入りになったらしく、その後の作品、ダンバイン『ダンバイン、翔ぶ』、エルガイム『TIME FOR L・GAIM』、ザブングルの劇場版主題歌『GET IT!』などを唄っている。近年、オリジナル・ビデオ作品『機動戦士ガンダム0083 スターダスト・メモリー』の主題歌に登場したのはサンライズ・ファンをときめかしたものだ。

 ザブングルから、特に敵ロボットは量産型という設定が復活(アニメ界に量産型の概念を初めて取り入れたのは『新造人間キャシャーン』のはず)する。また、主人公メカが途中から変わるという荒技を生み出したのもこの作品から。タイトルは「ザブングル」なのに、番組後半の主人公メカはウォーカー・ギャリアとなる。以降、ダンバインではビルバイン、エルガイムではMK‐2にそれぞれ主人公メカが変更される。それを踏まえたのか、『機動戦士Zガンダム』では、初回からは主役モビルスーツであるZガンダムは登場せず、番組前半に活躍するのはガンダムMK‐2となっている。

 『機動戦士Zガンダム』の放送開始時、私は中2だった。この放送にあわせ、角川書店から雑誌『ニュータイプ』が創刊される。Zでは、シャア・アズナブルはクワトロ・バジーナと名を変えている。ピザ屋でお馴染みのクワトロ、そう「4つ」という意味である。何故にクワトロなのか?シャアの本名は言わずと知れたキャスバル・レム・ダイクン、ジオン公国の創始者ジオン・ズム・ダイクンの忘れ形見である。それがシャアと名を変え、復讐のために独裁者ザビ家に近づくのがファーストガンダムでの話なのだが、実はこのシャアという名は彼にとって3番目の名前である。よって4番目の名はクワトロ。ほとんど知られていない彼の2番目の名はエドワウ・マスという。ジオンが急死(暗殺説あり)した後、地球のマス家に引き取られたときの名である。だから、妹はセイラ・マス(本名アルティシア・ソム・ダイクン)。この辺りのことは、安彦良和氏による『ガンダム・オリジン』参照。

 そんなZの世界感、放送当時の私にはほとんど理解できなかった。主人公カミーユ・ビダンの激しい性格(今でいう“キレる”)が理解できず、また、登場人物のほとんどが軍人であり、共感できるキャラも存在せず、部活の忙しさも相まって、いつのまにか観ることから遠ざかってしまった記憶がある。全話を観るのは、実は社会人になってから。ファーストガンダムの一年戦争を生き残ったカツが死んでしまうのは何故!?でも、その後番組のZZガンダムでハヤトが死ぬのはもっと不可解。意味のない死ではないか!まるで『超時空要塞マクロス』の柿崎の死のようだ。ZZからサンライズの勢いは失速し、ドラグナーでこの枠から去っていく。あぁ『機甲戦記ドラグナー』、誰も覚えていないであろう哀しい作品。タイムボカンシリーズを締めくくった『イタダキマン』のように。超時空シリーズを締めくくった『超時空騎団サザンクロス』のように。

 富野監督自身がZについて最近、語っているのだが、「僕はこの作品が当時、嫌いで…。でも、改めて見直すと作品が可愛そうに思えてきて…」。そのためかZ映画版のラストはテレビとは随分と違うものになっている。

 ファーストガンダムの初回放送時、実は第1話「ガンダム大地に立つ」から見ていたわけではない。当時、私は小2で、交友関係も活動範囲も大幅に広がっていた頃で、土曜日は遊び優先、今のように休みではなかったため、午前授業が終わった後はランドセルを置くのももどかしく外に飛び出していったものだ。門限が6時だったこともあり、その時間から放送していた『超電磁ロボ・コンバトラーV』『超電磁マシーン・ボルテスⅤ』『闘将!ダイモス』は欠かさず見ていたが、5時半からのガンダムはあまり見る機会がなかった。そんなガンダムを初めて見たのは、日が短くなった秋頃だったと思う。チャンネルを回す(当時のチャンネルは回転式)と、灰色の髪のひねたようなお兄さん(カイ・シデン)が「ほんと、軟弱者かもね」と呟いたのがやたら強烈な印象として残った。第27話「女スパイ潜入!」である。

 「軟弱者かもね」、こうした富野監督独特の痺れるようなセリフ回しがガンダムの特徴の一つだろう。同年代の男性ならば、必ず使った事があるのではないか。女性ならば、聞いてことがあるのでは?アムロなら、「アムロ、ガンダム、行きます!」「親父にもぶたれた事ないのに!」。セイラさんの「軟弱者!!!」「あなたならできるわ」。ガルマ・ザビ「図ったな!?シャア!」。ランバ・ラル「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」。スレッガー・ロウ「哀しいけど、これ、戦争なのよね」。中でもシャアのセリフは秀逸なものが多い。「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえの過ちというものを」「坊やだからさ」「冗談ではない!」「私の同士になれ」「私の手向けだ。姉上と一緒に仲良く暮らすがいい」。ガンダムの声優さんたちは、映画、DVD、テレビ、携帯の着ボイスなど、何回くらい同じセリフを言わされているかしら?

 『アンパンマン』や『キャッツ・アイ』、最近ではドラマでも(特に三谷幸喜さんの)活躍中の戸田恵子さんの本格声優デビューがファーストのマチルダ役なのは有名な話。戸田さんは番組後半の挿入歌『きらめきのララァ』『いまはおやすみ』も唄ってましたな。それでは、戸田さんが劇場版『機動戦士ガンダム 哀・戦士編』の頃に、シャア役の池田秀一さんと結婚したのはご存知か?シャアとマチルダが結婚している後でアムロが「マチルダさぁ~ん!」と叫んでいる色紙を安彦良和氏が書いていた。お二人は後に離婚されて、戸田さんは俳優の井上純一氏と再婚している。ワイドショーで「黒木香、洋画アダルトの吹き替えに挑戦!」と放送されたことがあるが、当時、話題だった「ワキ毛の女王」黒木香さんの横で池田秀一さんが、やりにくそうに声をあてていたのを急に思い出した。

 初めてガンプラを手に取ったのは、恐らく小3、農協の展示会だった(村民すべてが繰り出す一大イベント!)。田舎に住んでいたので近くにおもちゃ屋がなかったのだ。放送終了後ながら徐々にガンプラ人気が出てきた頃であろう。300円、144分の1スケールのプラモデルは、それまでの関節のほとんど動かない、プロポーションがテレビとは全く違う「ロボットもの」や子供だましの「ロボダッチ」とは大きく異なり、寧ろ、自動車や戦車・戦艦に近いリアリティを持ったものだった。肩の関節部分が脆くて壊れやすいという欠点はあったが。ちなみに、100分の1スケール(700円)はコアファイターが変形、収納できるものにした為にプロポージョンが今イチ、しかも股関節・足首が動かなかった。とにかく、その頃から30代後半なら誰でも覚えているガンプラ・フィーバーが始まる。

 よく考えれば、作品の内容は大人(高校・大学生)に、玩具が子供に受けたという以前には無いパターンを作ったのも「ファースト・ガンダム」。今のアニメ作品の関連商品マーケットは我が30代が圧倒的に支えていることを考慮すると、純粋な意味で、子供騙しでないデザインが子供に受けたと意味では、このパターンは「ファースト・ガンダム」だけかも。

 毎週日曜日、朝9時の開店を待たずにおもちゃ屋の前には長蛇の列ができたものだった。お目当てのものを入手できる者は極わずかであり、列に並んでも何も購入できないという子も多かった。人気のない「ボール」や「ムサイ」が微かに残っているかどうか状態だった。そういえば、酷い店になると「ズゴック」と「ボール」、「ジオング」と「ムサイ」、「Gファイター」と「ホワイトベース」などと抱き合わせて2つ以上でないと売ってくれないところもあった。塗装に始まって、継ぎ目消し、改造、ジオラマ作成…など、少年たちは自分の模型作りの技術を競うようになる。『プラモ狂四郎』たる漫画も人気を博した。プラモデルになっている「パーフェクト・ガンダム」はこの漫画から生まれたという珍しい作品。

 ガンプラブームに後押しされて、ファーストガンダムの視聴率は再放送でぐんぐん上がり、ついには劇場版公開決定となる。43話で打ち切りになったテレビシリーズは、ア・バオア・クーの攻防で幕を閉じるのだが、本来の予定であった52話まで続いた場合、その後のジオン本国であるサイド3での本土決戦があったのか、キシリア率いる月面基地グラナダからの何らかの抵抗があったのかは知る由もない。この結末については、劇場版でも同様であった。この辺りのことを記した「富野メモ」なるものが存在するらしいのだが…。

 『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ZZガンダム』と続くシリーズは、テレビだけでなく、オリジナル・ビデオをとしても様々な広がりを見せている。一応、宇宙世紀が舞台であるテレビ作品としては『機動戦士Vガンダム』が最後になっているが、私自身は全く観ていない。またその後、平成三部作と呼ばれている全く別設定の『機動武闘伝Gガンダム』『新機動戦記ガンダムW』、『機動新世紀ガンダムX』という作品も作られたが、やはり全く観ていない。さらに、平成三部作ではガンダムシリーズから離れていた富野監督が久しぶりに復活、「全てのガンダムワールドは繋がっている」というもはや理解不能な世界にまで達してしまった『ターンエーガンダム』、はたして全く観ていない。

 因みに、登場するモビルスーツが全てガンダムという「Gガンダム」は玩具の売り上げも好調、そのため、以後のシリーズでは多数のガンダムが登場するようになる。また、『聖闘士星矢』の影響で「ガンダムW」以降は美少年が多数出演。

 もはや、小さな子供から大人まで知らないものはほとんどいない感の『ガンダムシリーズ』。ウルトラマン、仮面ライダー、ドラえもん、サザエさんなどと同じく、世代を超えて語り継がれていくものの仲間入りをしていることに誰も異論は唱えないはず。私もいずれ自分の子と「最初のガンダムは…」と話すときがくるのであろうか。語るよ~ん、心して聞け、息子よ

柴 英斗
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# by shibaei | 2007-05-15 16:20 | マンガ・アニメ

日の本へ「ことば」

 今後はなかなか帰省もできないだろうとの予測で、連休を利用して香川・大分と実家行脚の旅に出ていた。大阪から香川、香川から大分への車旅。これはそんなに大変じゃない。大分から大阪へのドライブは約11時間。渋滞にも巻き込まれ、ちょっときつかった。金の無い学生時代は高速を使わず、13時間くらい平気だったんだけどな。

   日の本へ…   その244「ことば」

 本日、2歳になった我が息子。「2歳くらいが一番可愛いよ」と以前から聞いていた。「今が一番可愛い時期ね」と散歩していても声をかけられる。「いつでも可愛いでしょう」と思っていたが、確かに今は過去最高におもしろい。毎日毎日、文字通り目に見えるように話せる言葉がどんどん増えていく。人の顔を指さしながら(彼の場合、本当に刺してくる)、「くちい」「はなあ」「めえ」「みみい」と悦に入っている。こらこら、目を突くでない。
 「おとうさん」「おかあさん」とどっちを先に言ってくれるか、奥さんと二人で暗黙のレースを繰り広げていたが、何のことはない。最初にしゃべったのは「おじいちゃん」だった。あぁ、親思いの息子。その次が「おばあちゃん」「おねえちゃん」「おにいちゃん」、一緒に暮らしてもいないのに何故?そしてやっと「かあしゃん」。肝心の父親を見ると「うあっ」としか言わない。「おとうさん」と言わせようと、何回も家族を順番に言わしてみるが、僕だけはいつも「うあっ」である。
 よくよく考えてみた。彼に指摘されて初めて気づいたが、僕の口癖が「うわっ!」なのだ。彼が走るのを見て「うわっ、速!」。彼を抱っこしてみて「うわっ、重!」。彼のオムツを換えてみて「うわっ、臭!」。彼のうんちを見て「うわっ、でか!」。「うわっ」が「うあっ」になっているようだ。息子、恐
るべし。
 ちなみに彼は「パパ」「ママ」は言える。テレビでもよく耳にするし、買い物に行っても他の子がよく「ママ!」とか叫んでいるせいであろう。ただ、僕も奥さんもそう呼ばす気は無いので、彼は「パパ」「ママ」の意味は理解していない。「パパダンプっ!」「ママダンプっ!」と訳の分からない活用
を勝手にしている。
 こんなにおもしろいなら、もう一人くらい子どもがいてもいいなと思えるから不思議だ。

 未だに何の正式決定も出ないまま、大阪の本社で毎日毎日ぼぉっとした日を過ごしているのだが(勿論、英語の勉強はしている)、一応、シカゴに赴任する可能性が高いとだけは聞いている。このまま、大阪で一年もいたら、社会復帰できないという不安も抱えつつ、来週から急にシカゴという可能性もないではない。
 日本での僕の仕事を支えてくれていたのは、圧倒的に言葉である。特にフランチャイズ・システムのザーの立場となる僕としては、顧客からのクレームに対して、ジーである契約者とその先にいる顧客との間を、言葉で切り抜けてきた。無論、真摯な態度、誠意は大切だがそれを示す意味でも言葉は重要である。(おぉ、菅原文太氏の「誠意っていったい何かね?」が急に耳に蘇る。)
 手前味噌だが、それなりの言葉を要所、適所で使ってきたつもりだ。これは敬語をきちんと使えるという意味ではない。むしろ、sense the atmosphere に近い。日本人なら日本語で書け。
 これは良くない一面なのだが、責任者が誰なのか主語がはっきりしない、肯定か否定かよくわからない、「いえいえ、私共といたしましても、全力で改善していく方向で契約者にも重々に注意していきますよう努力してまいる所存にて、上司に相談させていただきます」なんのこっちゃ。この辺り、小ずるい言語にもなりうるのが日本語なのだ。政治家の使う言葉は実に小ずるい。あんな演説は英訳できない。日本語の特性を無意識ではなく意識した上でやっているので(もしかしたら染み付いただけで無意識かもしれない
が)、ずるい。
 でも、やっぱり奥が深く、美しいのが日本語だ。ちょっとだけ英語を勉強して思うのが、全てを表現しないところが日本語の優しさなのだ。聞き手の想像する余地を残しておく。これは思いやりの表れだと思うのだが。
 日本語が使えなくなるのは、翼をもがれたような、素手で特攻せよと言われたような、とにかく不安である。しかし、自らが望んだ道でもある。息子のようにゆっくりと話せるようになればいいという訳はなく、重圧も感じるが、それもまた楽し。母国語の国語力の高さが、第二言語のレベルに強烈に関係するとも聞く。
 母国語が弱かったらどうしよ…。
 「うあっ」は頑張るよ。

                                  2007年5月7日
                                     柴 英斗
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# by shibaei | 2007-05-15 13:47


シカゴ生活を経て、子育てやアニメ・特撮、海外赴任経験を語ります。
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