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日の本にて…  ハロー、シカゴ



日の本へ…   その245「ニュータイプ」

 オールドタイプがニュータイプを生み出す土壌になっているのではなくて!?

  日の本へ…   その245「ニュータイプ」

 何十回観たかわからない「劇場版 機動戦士ガンダム!)-めぐりあい宇宙」。先日、久しぶりに観て、鑑賞史上初めて泣いた。こんな気持ちになったことはなかった。年取ったのかなぁ。
 アムロとララァはお互いの全てを分かり合う。時間も空間も超越して。分かり合った刹那、アムロの刃でララァは命を落とす。直接触れ合うことなく、互いの過去も未来も分かり合うという人類史上、誰も経験したことのなかった無常の喜びを与えてくれた相手が突如いなくなる、しかも、それは自らの手で殺めてしまったからというアムロの哀しみとは如何ほどのものであろう。あまりにも業が深い。深すぎる。恐るべし、富野監督。
 ララァはこう言い残す。「あぁ、アムロ。時(とき)が見える…」。
 BGM「そして時が すこやかに あたためる愛~」
                    ビギニングby井上大輔

 人同士が理解し合うってのが難しい。特に今の自分にとっての壁は、はたして言葉だ。
 とかく日本人は英語に対して、センシティブというかナイーブというか、考えすぎの面がある。私だけ?とにかくコンプレックスを持っている。これが戦後のGHQの狙い通りなら、「あっぱれ、マッカーサーさん」ってなところだ。
 日本に上陸したアメリカ軍は、アメリカ市民に比べ日本人のあまりの識字率の高さに驚き、この国の国民に英語を話されると米国を脅かす存在になるかもしれないと懸念し、公教育において、故意に話せない英語教育を確立したとする説がある。確かに、日本の公教育だけで英語を話せるようになったという人に会ったことはなく、英語を操る人は皆、大なり小なりの努力を学校教育以外のところでしている。なぜ、「this is a pen.」から始まったのか。完全に英語に対する苦手意識を植えつけられている。この苦手意識は明らかに第二次世界大戦後に確立されたものであり、明治維新の頃の日本人はその語彙数は今に比べ遥に稚拙にも関わらず、英語で堂々と交渉している。江戸から明治へと時代を見つめた勝海舟、日米通行通商条約を撤廃した陸奥宗光、留学した伊藤博文、彼らだけでなく多くの日本人が諸外国に対して何の物怖じもしていない。

 本屋に行っても英語関連の書籍の如何に多いことか。そういうのに散々左右されるのが私のような小市民である。例えば、『「My name is …」という表現は「拙者、○○と申す」みたいな感じで文語である。普通は「!)’m …」だ』という風に解説している本がある。如何に日本の英語教育がおかしいかを端的に表すためだと思うが、私の知る限り、初対面で外国人は「My name is …」と普通に名乗る。英会話スクールでも指摘されたことはない。寧ろ、初対面にも関わらず、相手を呼び捨てで呼び、「!)’m …」と名乗る方が、「気をつけてね」と言われたくらいだ。
 結構、大切なことだと思うのだが、目にする外国人がスタンダードではないということだ。尚更、本やwebの情報が全てではないということだ。その書き手がどのような外国人とどのくらいの期間、どのような密度で接していたのかは分からない。
 日本人は外国人=アメリカ人と思ってしまう傾向があるが、例え、英語を話すとしてもその背景は様々である。たまたま知り合った外人が「can’t」を「カント」と発音する(英国人に多い)から同じように皆、話すかといえば違うのである。カントは一歩間違うと非常に卑猥な言葉である(外国の大人のビデオで時々聴けます)。また、同じアメリカでも地域によって文化はまるで違う。一昔前、多くの企業がアメリカ進出を賭け、西海岸に工場を設置し、「よし認められたぞ、次は中部だ、東海岸だ」と特攻して玉砕されたのも、ロスなどはアメリカ人から見ても全くの異文化だからである。アメリカ人が皆、陽気で気さくと思ったら大間違い。プレイガールやボンドガールばかりと思ったら大間違い。国民総メタボリック症候群の可能性だって否定できない。
 斯く言う私もまだまだ日本において英語を勉強しているだけで、周りに外国人が多い状況にはなったものの、異文化にどっぷり浸かっているわけではない。全てはこれからである。英語ができないという理由だけで、なめられたくはないんだよね、世界に。こう感じること自体、すでにコンプレックスか。

 ガンダムの世界で語られる「ニュータイプ」とは、人の進化系である。宇宙に設置されたスペースコロニーで生活し始めた人類が、地球上では体感し得ない無重力状態、何ら拠り所のない不安な空間で五感以外の新たな感覚を身につけるようになる、と定義されている。それは言葉などを使わなくても互いを分かり合える能力。ニュータイプを戦いの道具としてしか見なさないオールドタイプは一掃すべし、というのがシャアであり、人はもっと分かり合えるはずだとするのがアムロである。
 人は本当に分かり合えるのか?

 ララァ、私を導いてくれ。

 2007年6月5日
 柴 英斗
by shibaei | 2007-06-08 10:57 | マンガ・アニメ
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シカゴ生活を経て、子育てやアニメ・特撮、海外赴任経験を語ります。

by shibaei
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